編集プロダクション、オフィス・カガの加賀雅子さんと初めてお会いしたのは、ネットで翻訳者募集の広告を見つけて応募した、2002年頃のことです。
加賀さんには一般向けノンフィクションの翻訳をしたいとお伝えし、リーディングの仕事を11件受けたあと、ノンフィクションではなく、アイルランドの若手作家セシリア・アハーンのデビュー長編P.S. I Love You(邦題『P.S.アイラヴユー』)の一部下訳の仕事が舞い込みました。下訳を担当されていた方が途中で仕事をおりられたので、引き継いでくれる人を探しているとのことでした。その方がひととおり翻訳を終えたあとで大幅に修正した英文原稿が届いたので、新旧の原稿を付け合わせて変更箇所を洗い出し、カットされた箇所を削り、新規箇所を訳してほしいという依頼でした。それ以前からアイルランド音楽にはまっていて、アイルランドという国に興味もあったので、喜んでこの仕事をお受けしました。この新規箇所の翻訳を加賀さんが気に入ってくださり、今度は小学館がつぎに出すアハーン作品を選ぶ際のリーディングの仕事をお受けしました。このときは3作品同時に検討されたそうで、わたしが担当したのはアハーンの第2作Where Rainbows Endでした。
このレジュメが通り、『愛は虹の向こうに』を訳すことになります。大学では英文学を学んだものの、小説の翻訳は翻訳講座の課題のほか、実戦ではハーレクインを3点訳しただけのフィクション初心者、しかも300ページ超えの作品にしては締切がきつかったので、できはよくなかったと思います。そのせいもあってか、翻訳原稿をお読みになった編集者が、この作品が手紙やメールやチャットばかりで構成された書簡体だということに改めて気づかれて出版を躊躇され(書簡体だということはレジュメにはもちろん明記しましたが)、訳稿はしばらく寝かされていました。その時間を翻訳に当てられたらもっと推敲できたのにと悔しい思いをしました。結局、邦訳は1年後に無事出版されました。
作品の発表から10年後にはLove, Rosieというタイトルで映画化され、『あと1センチの恋』として日本で公開されたときは、いそいそと映画館に見に行きました。リリー・コリンズの好演もあって映画は好評でしたが、作品の要所の設定が原作と違っていたことと、舞台がアイルランドではなくイギリスに移っていたことは少し残念でした。映画化に際してよくあることなのでしょうが。
加賀さんがアハーン作品のシリーズ化にご熱心で、その後も強く推してくださり、下の写真の3冊を訳しました。フィクション翻訳初心者に著名な作家の作品を翻訳する機会を与えてくださり、身に余る光栄でした。
セシリア・アハーンに関しては、コミカルな人情物が得意で、弱者に対する視線があたたかく、人間味があふれているのが持ち味ですが、たびたび脱線して収拾がつかなくなる傾向があり、本国での特別扱いとも思える原作に対する高い評価は正直なところ長い間、疑問でした。最近になってアイルランドの近代史を読み、セシリアの父親バーティ・アハーンがアイルランド首相に在任中、南北アイルランドの和平に陰で尽力したことを知りました。ほかの政治家2人にノーベル平和賞が贈られるほどの歴史的大事件でしたから、当時の首相のお嬢さんが執筆したデビュー作が国内外で大絶賛されたのも頷けます。
なぜ急にセシリア・アハーンのことを書いているかというと、先日久しぶりに加賀さんにご連絡しようとして、長らく使っていらしたメールアドレスにメールが届かず、葉書をお送りしたところ、そちらも返送されてきたからです。年初には年賀状をいただいており、その後どうされているのか気になっています。