2021-04-15

20代はほぼ翻訳一色でした

大学卒業2年後に翻訳会社に転職

高校時代に翻訳という仕事に興味を持ち、大学では英文学を学び、貿易会社に就職して2年働いたあと、念願の翻訳会社に転職しました。入社1年めは、ワープロオペレーター(英文専用ワープロを使って、翻訳に入った赤字修正を入力したり、英語の取説等をレイアウトしたり)として働き、そののち、翻訳部に移って社外翻訳者のコーディネーターを務めながら機械分野(車関係)を中心とする英文和訳の仕事を兼務しました。この間、英和自動翻訳システムの開発に乗り出していた大手企業2社の外部要員として先方に出向して初期のシステムを評価するという得がたい経験をしました。勤め先の社長が自動翻訳システムにおおいに期待していたからです。残業の多いきつい職場でしたが、社員同士の結束は固く今でも付き合いがあり、翻訳の基礎も学ばせてもらい、この会社には恩を感じています。

ここに5年勤めたあと独立し、フリーランスとして実家で英和実務翻訳の仕事を請け負うようになります。仕事は最初から比較的順調でした。トライアルは1、2社を除いてすべて合格、そのうちの数社から途切れることなく仕事をいただきました。バブルとは無縁な地味な生活を送っていたので気づきませんでしたが、これもバブルの恩恵だったのでしょう。ジャンルは多種多様でしたが、通信分野の仕様書の和訳はかなり大量にこなしました。知人の紹介でギターやゴルフ雑誌の記事の下訳も経験しました。

この頃に一度著名人の伝記本を下訳する機会がありました。そもそも本を訳したくて翻訳を志したこともあり、普段以上に気合いを入れて取り組みましたが、かなり苦戦しました。分担訳でたいして分量はなかったものの、凝った表現をうまく日本語にできず、実務翻訳とはまったく要領が違い、時間もかかりました。実務翻訳には実務翻訳の難しさがありますが、当時、受注していた書類は、契約書を除けば大方わかりやすいシンプルな文体で書かれていたので、英語の読解や日本語の表現で悩むことは少なかったのです。翻訳会社勤務時代、4カ月休みをいただいて、ニューヨーク州イサカにある大学の英語集中講座で学び、受講終了時点でTOEFLの成績600点を超えていましたが、翻訳に使える英語力にはほど遠かったようです。

大学院留学を目指す

この経験から、もっと英語力をつけなければという思いが強くなり、今度は大学院留学を考えはじめました。さいわい貯金も少し貯まっていました。出版翻訳を目指すなら文学を専攻すればよかったのですが、なにせ当時の生活圏だった東海地方には出版翻訳の仕事をしている知人がひとりもおらず、雑誌『翻訳の世界』だけが唯一の情報源、じかにお話をうかがえた文芸翻訳家は、もう亡くなられましたが、講演を聴きに行った常盤新平さんただ一人。常盤先生にお礼状を出したところはがきでお返事をくださっていたく感激したものの(面識がないにもかかわらずお返事をくださったのは、今思えばわたしの旧姓のおかげ)、果たして本当に本を翻訳できるようになるのか皆目見当がつかず、英語を専門にしている方に相談してみても、あまり参考になる答えは返ってきませんでした。

出版翻訳者になれなかった場合、教職は向かないとわかっていたので、専攻対象から文学は外れ、まだ就職口が見つかりそうなコミュニケーション学部で学ぼうと決めて、1991年9月から2年間、ニューヨーク州シラキュースで暮らし、パブリック・コミュニケーションを教えているシラキュース大学ニューハウス校の広報学科修士課程に籍を置きました。実用的な技能教育指向のカリキュラムで、理論のほかに市場調査やニュースライティング、PCを使ったグラフィックデザイン(DTP)などの授業があり、クラスにはすでに新聞記者として働いた経験のある学生もいて、おおいに刺激を受け、鍛えられました。当時は授業についていくのに必死で、友達つくる余裕もありませんでしたが。

翻訳者になるのに留学は必要ないということをよく耳にします。留学せずに活躍している素晴らしい翻訳家はたくさんいらっしゃいますし、日本にいても翻訳に必要な英語力は鍛えられるはずです。わたしの場合、不足する英語力を鍛える方法として、ほかに選択肢が思い浮かばなかったに過ぎません。わたしが通っていた名古屋の大学では毎年学生を何人か海外に送り出していて仲のよかった友人が留学していたし、当時、周囲で英語を使って活躍している女性の多くが海外で学んでいて、留学が比較的身近だったことも影響しています。東京の翻訳学校の名古屋校ができたとき、喜び勇んで飛びこんだ教室で出版翻訳を習ったのは、アメリカに留学されたのち日本の大学で英語を教えていた方でした。また、イサカ時代、日本人女性のお宅に居候させていただいたのですが、その方はアメリカで博士号をとられ、同時通訳として第一線で活躍していらっしゃいました。名古屋の学校でその方の通訳の授業を一期受けたことがあり、その後たまたま翻訳会社で再会しただけのご縁でしたが、親切にしていただき、その間いろんなことを教わりました。

今は海外に出るのが容易ではない状況ですし、誰もが留学したいわけでも、できるわけでもありません。あの頃の自分に、留学せずに英語力を伸ばす方法を教えるとしたら、もっとせっせと英語を読みなさいとアドバイスするでしょう。留学前から英文雑誌を購読したり、たまにJapan TImesを読んだりしていましたが、原書はまだそれほど読んでいませんでした。そもそも原書を買える場所が当時はまだ限られていたのです。原書を読むのは体力がいりますから、ついでに体も鍛えなさいと。体力のある若いうちに自分のレベルに合った英語を少しでも多く読むのが、遠回りでも確実な英語上達な方法だと、今頃ようやく実感しています。