作者はフランシス・ホジソン・バーネット(1849-1924)、昔一度読んでいますが、小学生の頃というだけで、何歳のときだったのかは覚えていません。学校の図書館で借りました。同じ頃に同じ作者の『小公女』と『小公子』も読んでいます。
今回読んだのは2006年に出た西村書店の完訳版で、訳は野沢佳織さん、グラハム・ラストの繊細で美しいカラーイラストが何点も入っています。
昔、読んだ版は、検索した表紙の画像と刊行年から判断して、たぶんポプラ社の世界名作童話全集に入っていた岡上鈴江編訳『ひみつの花園』です。岡上鈴江は童話作家の小川未明の娘さん。今回読んだ完訳版が354頁なのにたいして『ひみつの花園』は157頁しかなく、活字も大きかったはずなので、相当にカットされていたのだとわかりました。
以下あらすじです(ネタバレご注意)。
メアリは父の赴任先のインドで暮らしていたとき、両親がともに伝染病で亡くなり、孤児となって、イギリスのヨークシャーにある広大な屋敷に住む、会ったこともないおじに引き取られます。おじのクレイヴン氏は10年前に愛する妻を亡くした悲しみから立ち直れず、また、妻にそっくりの顔立ちをした病弱な息子のコリンを避けて、1年の大半を海外で過ごしています。妻が死んだあと、彼女が大事に世話していた庭も、扉を閉じて鍵を隠し、封印してしまいました。そして誰も近づかぬようにと命じます。インドにいた頃、メアリの両親は仕事や付き合いに忙しく、彼女の世話は使用人に任されていて、いつも暗い顔をしたわがままな娘に育ちました。メアリは知った人のいないヨークシャーの屋敷で何もすることがなく、時間をもてあまして庭を歩き回るうち、閉ざされて久しい秘密の庭に入る扉と鍵を偶然見つけます。彼女はその庭に入ると、みんなに内緒でここに花を咲かせようと思い立ち、彼女の世話係であるメイドのマーサの弟ディコンの助けを借りて、庭道具と花の種や球根を用意してもらいます。そうして庭仕事に励むうち、最初は気難し屋だったメアリが、しだいに明るく元気な娘へと変わっていきます。一方、コリンは母を亡くしたあと、父に見向きもされず、自室に閉じこもって孤独に暮らすうち、心も体も病んでしまい、自分はもうすぐ死ぬのだと思い込んで一日中ベッドで寝て過ごし、泣き暮らしていました。メアリはその泣き声を聞きつけ、広い屋敷を探し回って、いとこのコリンの部屋を見つけます。同年代同士、ふたりはすぐに打ち解けて仲良くなり、メアリと話をするうちにコリンに明るさが戻ってきます。やがてコリンも車椅子を使って外に出て、庭造りに加わるようになります。そのうち魔法が働いて、コリンもすっかり健康を取り戻し、体も丈夫になり、車椅子を使わずに歩けるようになりました。ディコンの母親のスーザンはコリンが元気になったのを見ると、クレイヴン氏に手紙を書いて、すぐに屋敷に帰ってきてほしいと伝えます。屋敷に戻ったクレイヴン氏は美しく蘇った庭と健康になった息子の姿を見て、喜びに胸を震わせるのでした。
今回、読んでみて、こんなにも魔法や奇跡を強調した、ファンタジー色の強い話だったのかと、驚きました。
完訳版は、小学生の頃に読んだとしたら、少し長いと感じたかもしれません。簡略版は子供向けに物語のハイライトを上手にまとめてあって、だからこそ面白かった記憶がずっと残っていたのだと思いますが、完訳版を読むと、深みのある物語だとわかります。
領主と使用人の関係がこれほど良好なことは実際には珍しいだろうし、子供を叱る大人がひとりも出てこないのは不自然だし、そこからしてすでに奇跡、そもそも妻が死んだあと、悲しみのあまり家も息子もほったらかしで10年間も放浪している父親なんて、ナイーブすぎないかと、大人の私は思います。ですが、昔読んだときはそんなところで引っかかったりせず、庭が蘇るにとともにメアリとコリンが再生していくすてきな物語に、どっぷり浸っていたはずです。
だとしたら、大人の私も童心に帰って、現実的な矛盾点は忘れて、物語に浸るのがふさわしい読み方でしょう。魔法の世界に浸ろうといったん決めたら、あとはわくわくしながら夢中で読みました。 動物の言葉がわかるという魔法使いのようなディコンが、この物語ではとても重要な役割を果たしています。メアリとコリンは庭仕事に精を出すことで、しだいに心身ともに健康になっていきますが、それはヒースの荒れ野でのびのび育ち、すべてをありのままに受け入れてくれる、大人びたディコンの助けがあったからこそ。教訓じみたところがなく、メアリとコリンが自分の意思で屋敷の外に出ていき、人のあたたかさや自然の美しさに触れるうちに本来の自分を取り戻していくという設定も、この作品を好きになった大きなポイントのひとつだったと、改めて気づきました。
『秘密の花園』はアニメにもなっていたんですね。今回調べ物をしていて知りました。