著名な文芸翻訳家の方たちの御訳業を拝見すると、みなさん得意とされているジャンルをお持ちです。同じジャンルの作品をずっと訳し続けていれば相性の合わない作品も、超難解な作品もあるだろうし、根気のいる、大変なことだと思います。これと決めたジャンルのどんな作品にも食らいついていくくらいの覚悟がないと、小説の翻訳はできないのかもしれないと、うすうす感じてはいます。小さい頃、手当たり次第に児童書を読みあさったとか、若い頃からミステリーばかり多読してきたという方がたくさんいらっしゃる中での競争です。私など最初から勝ち目はありません。それでも、私も最初に翻訳家を目指したきっかけが小説だったものですから、いまだに、いつかまた小説を訳したいという気持ちを棄てられずにいます。
問題はどのジャンルをやりたいのかです。
二十数年前、しばらく続けた産業翻訳から出版翻訳に足場を移すにあたって、まずノンフィクションから入りました。産業翻訳の延長線上にあって心理的な垣根が低かったからです。ノンフィクションの書籍翻訳ではとくに専門知識のない翻訳者にもいろんな分野の仕事が回ってくるので、そのたびに勉強しなければならず、幅広い知識に触れることになって、それが楽しくもあり、大変でもあり、おおいにやりがいを感じてしばらく続けてきました。ですが、10年ほど前から急に、胸を打つ感動作や強く印象に残る作品、ちょっとおかしな話、要するに物語を訳したいと思うようになりました。
フィクションの翻訳家を目指すにあたっては、やりたいジャンルが決まっていたほうが、その先ものごとがスムーズに進むに違いありません。ですが、どのジャンルを見ても、そのジャンルに集まる方たちの熱量がすごすぎて、なかなか足を踏み込めずにいます。どのジャンルにも好きな作品はあるのですが、熱意が足りず、特定ジャンルに深くのめり込めないのかもしれません。
そんなこんなで迷っていたら、一般文芸という、ジャンルを超越した言葉に出会いました。一般文芸がどの辺りの作品を指すのか、正直まだよくわかっていません。エッセイなど、ノンフィクションも一部含まれるのではと思います。が、とりあえず残り少なくなった人生、ジャンルを特定せずに文芸翻訳家を目指してがんばります。というわけで何年か前からリーディングの仕事ではできれば小説をとお願いし、日々英語圏の小説を読んで、面白い作品を探しています。よい作品はいくらでもありますが、自分にぴったりくる作品にはなかなか出会えません。出会うまで、これからも読み続けます。
注記)ジャンルは決められなくても、苦手なジャンルははっきりしていて、バイオレンスとロマンスにはあまり興味が湧きません。