都心や大きな街の大型書店ではそれなりに翻訳小説の品数を揃えているのでなかなか気づきませんが、近所の小さい書店や古書店では、翻訳小説の棚が少しずつ減っています。世間ではもうずいぶん前から出版不況に加えて、翻訳小説離れということが言われていましたが、フィクションの翻訳にかかわる機会が少なかったこともあって、自分の痛みとしてひしひしと感じることがありませんでした。あるいは出版不況の大きな流れの中でのできごとで、翻訳小説に限ったことではないと思っていたのかもしれません。
2012年夏、北海道の天売島に行ったときのこと、島からのフェリーがH町に着いたあと時間があったので本屋に立ち寄り、店内をざっと回って、翻訳小説を探しました。その店にあったのは、その年の6月に出たばかりの柴田元幸さんが訳されたマーク・トウェイン作『トム・ソーヤーの冒険』と松永美穂さんのベルンハルト・シュリンク作『朗読者』(どちらも文庫)の2冊だけでした。『トム・ソーヤーの冒険』はたまたまその旅に持っていき、読み終わったあと天売島の宿に置いてきた本と同じものでした(たまに、書棚がある宿に読み終わった本を置いてきます。邪魔だからではなく、読んでくれる人がいるかもと思って)。置いてきたばかりの本に再会した偶然に喜んだのも束の間、翻訳小説が2冊きりという光景は衝撃でした。その旅では新鮮な海鮮を味わい、幻想的なウトウの帰巣を見学し、楽しい思い出に浸っていたのに、一気に現実に引き戻され、浮かれた気分が一瞬で吹き飛んでしまうほどでした。
北の果ての小さい町とはいえ、フェリーの発着場があり、そこそこ人の往来もある土地です。出版社の営業さんも北海道まではそうそう来られないでしょうから仕方がないのかもしれませんが、翻訳小説は積極的に売らないとここまで求められなくなっているのだな、と実感し、悲しくなり、その気持ちを静めるために、未読だった『朗読者』を購入しました。
翻訳小説はもともと月に何冊か読んではいましたが、あのときのことがショックで、それ以来、翻訳小説はできるだけリアル書店で買うようにしています。私が購入できる数などたかが知れていて、荒波に向かって犬かきするようなものだとしても、何もしないよりはましと自分に言い聞かせて。これまで半世紀のあいだ私の人生を豊かにしてくれた翻訳小説がもっと読まれてほしい。あれから8年、状況はますます厳しくなっているように感じますが、ささやかな応援をこれからも続けます。