2021-03-14

断捨離その1:古い手紙や写真は老後の慰めになるのか

将来的には高齢者施設や長期療養施設への転居があるかもしれませんが、それを別にすれば、おそらくこれで最後になりそうな転居の予定が急浮上。9月に書いたブログ記事「移住願望:山の近くで暮らしたい」が現実となり、しばらくしたら今度は隣の県に引っ越して、かなり山に近づける見込みと相成りました。願望は願望として、実現は難しいと思っていたので、予想外の展開に驚いていますが、そうと決まったら、かなり本気で断捨離に取り組まないとなりません

結構かさばるのが手紙や写真で、縁遠い方のものから片付けているのですが、取捨選択が難しい。私がアメリカに留学していた1988年(一度目、第二言語としての英語集中講座受講)から9193年(二度目、大学院修士課程)にかけてはインターネットもそれほど普及していなかったため、日本の知人や家族、アメリカで知り合った友人・知人とのあいだでやりとりした手紙やクリスマスカードがかなりの数になりました。留学は私にとって思い出深い特別な経験だっただけになかなか捨てられず、あとで整理するつもりでまとめて箱にしまってあります。読まずに捨てて後悔したくないので、ひととおり読み返すのですが、すっかり忘れていた記憶があれこれ蘇ってきたりして、なおさら捨てがたくなることもしばしば。まずは文面の短いカードや絵はがき類からとりかかりました。


一度目の留学時はクラスの半分が日本人という、留学した意味に疑問が生じるような特殊な環境で、しかも短期だったので、手紙の数もしれていますが、二度目は学科の同期に日本人はおらず、アメリカ人の級友や他国からの留学生と親しくなれるほどの英語力もなく、学業のストレスで参ってもいて、その寂しさを手紙で埋めていたんでしょうね。あの頃は自分でも感心するほど筆まめでした。私との文通に付き合って、孤独な留学生活を乗り切る心の支えとなってくださった方たちには心から感謝しています。


断捨離していて気になるのは、今より年をとったときに、昔の写真を眺めたり、手紙を読んだりして、はたして慰められるものなのかということ。そういう年齢に実際に達してみないうちは想像するのが難しく、あれもこれも、もう必要ないだろう、と捨てかけては、いやちょっと待て、と思い留まったりしています。これは人生の先輩方にぜひ伺ってみたいところ。