今から二十数年前にワインのガイドブックの下訳をしたことがあります。その頃、私にとってワインは少し改まった機会にレストランで食事をするときに飲む、ちょっときどった飲み物でしかなく、詳しくはありませんでした。それでもほかのお酒より好きだったので、そのお仕事を受注して、とてもうれしかったことを覚えています。ワイン関連の翻訳がどれほど大変か、そのときはまだよくわかっていませんでした。
それは世界のワインとワイナリーを紹介する本で、英語以外にフランス語、イタリア語、スペイン語、ポルトガル語、ドイツ語だけでなく、ギリシャ語やハンガリー語といった、なじみがなく、スペルを見ても発音を推測できない固有名詞が出てきて、調べ物の山。ネットの情報は今ほど充実していなかったし、資料はあれこれ集めましたが、それだけでは全然追いつかず、締切までになんとか仕上げたものの、かなり不本意な出来でした。あとでチェックをしてくださった方にもずいぶんご迷惑をおかけしたに違いありません。
その本に出ていたお値打ちワインを買ってきて、家でひとり飲みして悪酔いしたこともありました。今だったらもう少しまともに訳せたはずと思えるくらいには、あれから本を読み、お手頃ワインを中心に、いろんな国のいろんな銘柄を飲んできました。カリフォルニアに旅行したときは、ワイナリーツアーに参加して、はじめてワインの製造工程やセラーを見学したのですが、そのとき知り合った台湾人の女性は、カリフォルニアの大学で醸造学を学んでいる学生さんでした。
大変な仕事だっただけによく覚えているし、あの経験をきっかけにますますワインが好きになり、世界も広がりました。たいして量は飲めませんが、今も週末はたいてい赤ワインを楽しんでいます。今は気軽に旅行もできず、ワイナリー巡りができる日が戻ってくるのを心待ちにしています。ワインの専門書を訳す機会はもうないでしょうが、小道具にワインの出てくる小説はいつか訳してみたいです。
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